表現力の授業③

 提出書類のヒント集です。ここからは1ページが長いですから、読み物としてのんびり読んでください。

提出書類のヒント集

志望理由書の目的と意義Ⅲ

 ちょうど夏休みがあけると、私の授業(作文・小論文)は形だけとなり、個別対応が多くなってきます。個別といっても限度があるので、メールをやり取りしながら添削してやります。中には焦り始め、ヒステリックになる学生すらいます。

志望理由書を舐めるな!

 そんな中、必ず釘を刺すことがあります。それは『くだらない文章で合格できると思うな!文章は中身だ!』ということです。
 常識で考えましょう。
 総合型選抜の場合、定員割れを起さないような普通の大学では、エントリーされる時点で50~100人の受験生が出願します。そして、最終的に合格できるのは、その中の5~6人。多くても10人ちょっとでしょう。
 どうすれば、その激しい競争率を勝ちぬくことができるでしょうか?
 ごく普通に、おりこうさんの文章を書いて合格できるでしょうか?
 これまた私が散々言ってるとおり、論理的に文章を書くことは非常に大事です。しかし、そんなこと以前に中身が重要なのです。
 わかりますよね?
 成績以外の基準で合否判定するなら、その学生が何を考えているかで判断するしかないでしょう。いや、『しかない』ではなく、AO入試なんていうのは、もともとそれが目的の入試形式なのです。そして、これまた常識ですが、勉強ができるということより『その受験生一個人が何を考えているか』ということの方が、人間として遥かに大切なのです。
 『構成がしっかりしており、説得力のある文章を書きましょう!』
 これは、学校の先生とかに質問すると必ず返ってくる返事です。
 だから何だというのでしょうか?
 なら、あなたが書いた文章を見せてください!と言ってみましょう。途端に逆切れして嫌われてしまいます。そして、権力を行使し、君たちを目の敵にしてきます。本当に無責任な指導ですね。学校教師たちに憤りを感じているのは、何も大阪府知事の橋下徹さんだけではありませんよ(笑)!
 極めてわかりやすく、非常に美しく、論理的な文章を書いてくる学生がいます。当然のごとく、そのような学生は勉強ができます。けど、内容はもう何十何百と読んできた志望理由と同じような内容です。
 私の場合、それを指摘し、内容改善を指導します。
 そう。
 内容をしっかり書け、とか無責任な指導を受ける以前に、内容をしっかり持たなければならないのです。
 …とは言っても、やはり高校生。一人では無理ですので、最近の時事に関する話題から志望学部に関係のありそうなヒントを受験生に与え、それを調べるように指導します。インターネットや文献やらで調べさせます。そうすると、自然と時間がかかってしまいます。
 …そう。ここで揺れるのです!!
 たかが数百字の志望理由書、普通の作文のように適当な時間で書けると思い込んでいたのが、実は、たった数百字書くだけでも膨大な時間がかかってしまう、それで衝撃を受けるのです!!
 そして、勉強のできる学生に限って、勉強ができる分、私のいうことに耳を貸さず、そのまま不合格になってしまいます。まぁ、勉強ができる分、一般入試で合格していきますが。
 『高齢化社会なのでお年寄りを大切にしましょう!』『地球は丸いです!』と書いてある文章、こんな“当たり前すぎること”を偉そうに志望理由や小論文で書いたところで、誰が相手にするのでしょうか?誰がこんな志望理由書を読みたがるというのでしょうか?そんなものが志望理由書と呼べるのでしょうか?
 合格するわけがありません!!
 何か鋭い視点で、誰も気がつかなかったようなことを書くのです。
 誰も考え付かなかった独特の発想を書くのです。
 これができる人間を合格させるのが、推薦、自己推薦といった特別選抜や総合型選抜なのです。

 ●あるエピソードでこんな風に考えた。
   ↓
 ●そして、さらにこんな風に研究したくなった。
   ↓  
 ●○○大学には、それに合うものがある。
   ↓
 ●それを絶対に学びたい!!

 これが基本です。そして、

 ●一般では知られていなかったことを知ってしまった。自分なりに疑問を持った。
   ↓  
 ●これをもっと深く追及して、社会に貢献したい!!

 こんな受験生なら、どんなに高倍率でも合格できるでしょう。
 “そんなすごいこと思いつく高校生なんかいるわけない”?
 勘違いしないでください!!志望理由書を要求してくる入試は、夢と目標を持った受験生を募集しているのです!!“すごい志望理由”を持った“すごい高校生”を求めているのです!!まだ夢や目標が見つかっていないというなら一般入試を受験すればいいだけのことです。
 くどいようですが、一般入試は勉強(努力)さえすれば、どんな人間でも入れるのです。
 しかし、特別選抜や総合型選抜は努力だけで入れるとは限らない入試なのです。

個性

 世間でも散々いわれていることですが、学校での教育、いわゆる『お勉強』というのは、結局のところ受け身の行為に過ぎません。そこでは、自分で考える『思考』の過程が無視されています。与えられた問題を教えられたとおりに解く能力は、受け身以外の何物でもありません。敷かれたレールの上をただ進むだけなのです。
 そして、意外に思われるかもしれませんが、実は部活動も同じなのです。既成のレールの上を歩いているだけで、これも受け身に過ぎません。
 積極的に参加した?一生懸命頑張った?授業に積極的に参加して頑張るのと何が違うのですか?もちろん、本来、部活動の場こそ、自分で考える能力をつける絶好の教育の場なのですが、現実はどうですか?先輩や顧問のくだらない指示に従い、お真面目、オリコウサンを演じるだけじゃないですか?これは私なんかより受験生自身のほうがよく知っています。
 そんな教育しか受けてこなかった学生に、ある日突然、『自分で考えろ!』と言っても無理でしょう。それでは、あまりに無責任過ぎます。私でしたら『なら、オマエは自分で考えたことがあるのか?』と突っ込み、先生に嫌われるでしょう(笑)。
 このような受け身の話をいくら志望理由に書いたところで何の意味もありません。
 部活で頑張って大会で優勝した?そこから目標が生まれた?
 こういうことは、志望理由ではなく、自己PRか自己推薦書に書きましょう。
 『私はロボットのように真面目に指示に従い、頑張ってきました。その結果、優秀なロボットだと表彰されました。これからも自分で考えたりせず、真面目にいわれたことをくり返し、努力して行きます。だから、合格させて下さい。』
 …と。
 ただ、これは人間の尊厳を自ら否定した文章です。
 指定校推薦か経済学部の一般推薦(ほとんど落ちない)でお薦めです。
 …そう。
 用意されたレールの上を、オリコウサンに、真面目に進む行為からは個性など決して生まれません。
 …生まれない?
 いいえ!
 見つけられないのです。
 人間には、美人あり、ブスあり、ハンサムあり、ブ男あり、デブあり、痩せあり、チビあり、デカあり、…そう、個性ってものがあるのです。
 神様は不公平です。
 …不公平?
 いいえ。
 人には色々な特徴があって、色々な特技があって、色々な心を持っています。決して一つとして同じはずはないのです。そして、それは不公平なのではなく、1人1人を輝かせるためのエネルギーなのです。
 つまり、どんな奴でも、どんなことしてる奴でも、必ず個性はあって、それが生まれる生まれないの問題ではなく、気づくか気づかないかの問題なのです。
 そう。
 ここでいう個性というものは、何も『奇抜な発想』という意味ではないのです!
 世の中では、何か『奇抜な考え』とか『オリジナリティー』『他人と違うこと』と曲解されているようですが、そんなものは個性ではありません。個性とは、文字通り『オリジナリティー』ではなく『パーソナリティー』なのです。
 人間は生まれながらにして個性を持っています。しかし、始めのうちは個性など分りません。その子どもがどのような才能を持っているのか、誰にも分らないのです。そう。分らないからやってみるのです。
 例えば、ある学生が、歌の才能が5しか出せていなかったとしましょう。他の学生が10の才能を持っているにもかかわらず、その学生は、5の才能で満足しています。それはそれで構いません。しかし、何かのきっかけで、突如、歌に目覚め、必死に努力して才能を20まで伸ばしたとしましょう。こうなると前述の10の才能しかない学生より歌の才能があることになります。前述の10の才能をもった学生がそれを見て、必死に努力したとしましょう。けど、努力したにもかかわらず、10の学生は12になっただけだとしたら、それがその学生の限界です。20の学生よりも歌の才能がないということになります。
 この才能は、何も歌だけではありません。あらゆる能力に才能が眠っています。絵を書く才能、料理を作る才能、運動の才能、勉強の才能、本当に無限の才能が眠っています。その才能をどれほど伸ばしたかによって、個人の姿が作られるのです。

 A君は歌の才能が20、絵の才能が5、料理の才能が70、勉強の才能が3。
 B君は、歌の才能が5、絵の才能が90、料理の才能が2、勉強の才能が10。

 このような具合に、無限にある才能のうち、どの才能を伸ばしたか、それは人それぞれによって、実にさまざまです。
 これが個性です!!

難しく考えるんじゃない!!

 実際に、受験生と話していると、本当に個性が輝いているのが大勢います。
 最初はどれもこれもにたような文章を書いていますが、少しずつ自分を見つけるにつれ、個性が輝いてきます。最初のうちは、本人も私もそれに気がつかないのです。コミュニケーションを取って行くうちに、志望理由を書いて自分と対話をしていくうちに、本人が気づかなかった個性に気がつくのです。自分を見つけるのです。
 『何でそれを書かないんだ!』が、私が怒るときの口癖です。すると『恥ずかしい。』とか言ってきます。結局、自己主張すると叩かれるという学校でのルールに従い、自分を殺して来た結果に過ぎません(注意・確認:自己主張とわがままは大違いです)。
 恥ずかしい?
 そんなことないんだ!
 自分の心の中に生まれた『理由』を、まず書いてみることです。書くことによって、自分を確認し、見つけていくことです。
 下手、恥ずかしいなんて思わないことです。

 

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