提出書類のヒント集です。ここからは1ページが長いですから、読み物としてのんびり読んでください。
志望理由書の目的と意義Ⅱ
志望理由書を書くということは、自分のこれまでの人生を振り返り、今後の人生を考えることです。
人と比べない人生
『志望理由書に何を書いたらいいのかわからない』という相談が後をたちません。大学入試の志望理由書とは、いわゆるそのまんま、その大学を志望する理由を書けばいいのです。
ところが、かしこまって考えてしまう受験生や、『一般選抜じゃ無理だから』『内申がよかったから』が本音で、ただなんとなくその大学を志望する学生が大勢います。また、総合型選抜の章の『本物の総合型選抜入試』を読んだ後では、『俺は2%にはなれない。』『私はそんなに凄い人じゃない。』こんな声が聞えてきます。
けど、ちょっとまて!
何を勘違いしてるんだ?
自分を世の中の脇役か何かと勘違いしてないか?
遠慮することなんかありません。
学校の先生の顔色を見る必要はありません。
クラスのみんなに知られると笑われる?
周りなんか気にするな!
人間なんて、自分が思いたいように勝手な想像をする生き物だから。
それを躊躇うのは、今まで『自分を出す』という教育をされて来なかっただけなのです。
日本の教育において今まで言われて来たのは『良い社会人をつくる教育』でした。ところが、それが失敗だったのは、現在起きている社会問題が証明しています。そして、そこから変革が生まれ、現在、言われている『個性を伸ばす教育』『人柄重視の教育』へと変わっています。
しかし、学校の先生たちはこの変革についていけず、昔ながらの『良い社会人をつくる教育』から抜け出ることができません。学力低下を『自分たちの指導力不足』ではなく『ゆとり教育による指導時間の減少』のせいにしていることから見ても明らかです。
そのような教育で育った君たちが志望理由書を書くのに躊躇ってしまいます。
志望理由書に限らず、作文の類を先生に見せると完璧な文章に直してしまいます。また、学級会などで立派な意見を言っても、先生は耳を貸してくれません。始めから先生の腹の中では結論を出していることを議論させているだけ。そんな『茶番』を繰り返しているうちに、自分自身を出さない人間、つまり、『良い社会人』『おりこうさん』へと改造されてしまうのです。さすがに、私立の学校あたりでは徐々に変化しているようですが、圧倒的多数の学校では、依然としてこのような傾向が強く残っています。
そんなことで、志望理由書など書けるのでしょうか?
抽象的なことばかりを書き、全く個性もなく、良くも悪くもない完璧なただの『おりこうさんの文章』、これを日本語で『箸にも棒にもひっかからない』といいます。
こういう受験生…、残念ながら今の大学は求めていません。
どんなに原稿用紙の書き方を学んだところで、どんなに美しい国語表現を習ったところで、どんなに『理屈』を並べたところで、大学が求める『独創性』があり『中身(実力)』がある文章は書けないのです。
確認します。
この方式の受験生は、まず始めにその大学へ進学する中身(志望理由)があることが大前提になるのです。
これを機会に、自分の人生や将来の夢を考えてみましょう!
私が指導する際、半年はかかります。
半年以上の授業の中では、受験生自ら気が自分の道をみつけられるように進めていくのです。
自己アピール力
勉強さえすれば合格できる一般選抜と違って、志望理由書の中で読み取られる内容には、志望学科との相性というものもあります。この受験生は、志望学問に向いているだろうか?
この受験生は、将来、志望する職業に向いているだろうか?
このような個人の資質と言ったものも問われてきます。
これまで医学部では面接試験が標準のように実施されてきましたが、その目的は『倫理的にどのような人柄か』をみるためでした。それが医学部のみならず、様々な学科でも実施されるようになったのです。
その最大の理由は、何と言っても『一般入試で合格した大学生がろくに勉強しない』ということです。
大学のことを“レジャーランド”なんて呼んだほどです。偏差値で適当に選んだり、消去法で残ったものを選んだりした学部・学科に進学したところで、関心がなければ学問をする意味などありません。その結果、仏文科を出たのに全くフランス語が話せない大卒生がいるくらいです。完全に就職予備校として開き直っているような大学では別ですが、最高学府たる大学の本来の使命である『学問を修める』には、やはり資質を問うておこうといった大学側の意図があるのです。
具体的に、どのような学部でどのような学生を求めているか、は、≫進学指導のページに掲載して行きますので、ぜひ参考にしてください。
面接への誘導
注意して欲しいのは、志望理由書と言うのは、言って見れば、大学の試験官が、面接試験をする前に学生に何を質問したらいいのか、前もって準備しておくための資料です。志望理由書を読むことでこの学生にはどんな質問をしたらいいのか、試験官はあらかじめ考えています。ですので、皆さんが書いた志望理由書は、面接試験の時、目の前にいる試験官の机の上にあります。つまり、志望理由書に書いた内容に嘘があればすぐにバレます。また、知ったかぶりで(知らないことを知っているように)書くと、必ずその点を質問してきます。逆に言えば、志望理由書にわざと質問して欲しい得意分野について書きこむことで、面接を有利に進めることができます。要するに、志望理由の良し悪しが大学受験の全てを決定すると言っても過言ではないでしょう。それほど志望理由書は重要だし、そう簡単に、安々と書けるものではない…のです。
何を書いたら良いか、わからない!
これが一番じゃない?私が高校3年生の時、将来、何をしたらいいか分かりませんでした。
政治家になりたい!映画監督になりたい!
いろんな夢がありましたが、今、振り返ってみて最大の失敗は、「無知」だったことです。
「勉強なんてしなくても生きていける!」
「ニュースなんか見なくても生活していける!」
こんなことを口にする友人がいました。
確かにそのとおりです。
けど、今、その友人たちはどんな生活をしているでしょうか?
もちろん、プライドや見栄がありますから決して自分から口にはしないでしょう。
でも、誰が見ても惨めな人生を歩んでいます。
月数十万円のはした金で人様にこき使われる「使用人」の人生を歩んでいます。「使用人」とは、お金をもらって人様に使われる人たちのことで、その人たちは自分たちのことを「使用人」と呼ぶのがあまりに屈辱的なので「サラリーマン」なんて和製英語で名乗っています。
その「サラリーマン」を法律上の言葉で表せば、実はただの「使用人」なのです。世界史的にいえば、ただの「生産奴隷」。
そう。
その友人が口にしたことは、その友人の人生においては『勉強なんかしなくても生きていける』し、『ニュースなんか見なくても生活してける』のです!
この年齢になれば分かりますが、本当に惨めです。
もちろん、月数十万円のお駄賃がもらえれば「勉強なんかしなくても生きていける」でしょうし、「ニュースなんか見なくても生活して」行けます。社会との関わりをご主人様(会社)に任せ、自分はご主人様のために言われたことをやっていればいいのですから。
ご主人さまから放射能漏れを隠ぺいするよう言われたら隠ぺいし、ご主人さまから生産地の表示を書きかえるよう言われたら書き変えればいいのです。ブレーキが利かない車を売ったことを隠ぺいするように言われたら隠ぺいし、豚肉コロッケを牛肉コロッケと偽って客を騙せと言われたら言われたとおり騙し、莫大な損失を隠し、嘘を発表しろと言われれば嘘を発表すればいいのです。
十分に生きていけます。
正に「気楽な稼業と来たもんだぁ~♪」ですね(笑)!
でも、君たちは、こんな人生を歩みたいのか?
こんな惨めな人間に、自分の人生を台無しにされたいのか?
小さな子どもに向かって大人たちが「将来、何になりたい?」と聞いた時、「サラリーマン!」と答える子どもがいたら、大人たちは「なんて夢のない子どもなんだ!」と嘆くでしょう。このことがすべてを物語っています。
ある日、何となく関心をもったことがあった。それは心の中に小さな火が灯った証拠です。
その小さな火を大きくしようとせず(好奇心を持たず)、だらだらと日常を過ごせばすぐに消えてしまいます。
そうやって妥協して来た大人たちが惨めな姿をさらしています。
小さな火が灯ったら、大きくすればいいのです。
大きくする過程でその火の色が変わってもいいじゃないですか!
大きくする、それが「勉強」なのです。
もちろん、勉強といっても、微分積分だけが勉強ではありません。そんなことは言っていません。いろいろなことを学んでいくうちに自分の関心が生まれ、そこから初めて志望理由書に向かうことが出来るのです。
下の青い丸ボタンでページを変えられます。青い四角ボタンでそのページへ直接移動できます。