不本意入学
不本意入学者という言葉があります。
これは、自分の意志とは違う大学・学部に入学してしまった学生のことを指しています。
例えば、私が受験生の頃はベビーブームと呼ばれる世代で、一般入試でも殺人的な倍率が存在する時代でした。1000人募集する定員に対し50000人が受験するような時代でした。その頃、受験生たちを支配していたのは偏差値と呼ばれる数字であって、その数字によって進学先が振り分けられていたのです。
東京都内にある有名私立大学であるW大学を受験する学生の中には、W大学の名前欲しさに、受験可能な学部を片っ端から受験するような学生がいました。いや、恐らく、そういう受験生ばかりでしょう。また、自分の第一志望大学も、先生ではなく偏差値表に教えてもらいました。
そのような状況から、自分には全く関心のない分野や、全く行きたくもない大学に進学していく学生たちが大勢いました。そのような学生たちを不本意入学者と呼ぶのです。受験競争で散々勉強しながら、結局は、全く興味のない授業を受けさせられる弊害から、勉強しない大学生が大量生産され、大学のことを『レジャーランド』などと揶揄する言葉が生まれたくらいです。
高度経済成長の時代ならそれで良かったのでしょう。
経済が右肩上がりで成長していく時代なら大学の名前だけで就職を選び、大学時代、全く勉強などしなくても企業は欲しがりました。いや、大学で余計なことを教えないでくれと公言する企業すらあったのです。余計な智恵をつけた新卒は使えない、というレッテルが貼られていました。
この状況が正常であるはずはありません。
莫大な税金を教育に投入しながら勉強しない大学生を増産し、社会へ送り出していく。成長が止まった社会、いわゆる、成熟社会においては、学問の向上どころか、社会の発展など望めません。大いなる税金の無駄遣いにしかならないでしょう。
不本意入学をしてきた学生は、偏差値を上げる訓練を受けてきたので、偏差値を上げる達人です。しかし、誰かに教わったことをそのまま繰り返せば偏差値を上げることができます。ですので、自分の頭で考える必要がないのです。しかし、大学での学問は違います。これまでの偏差値教育とは全く違う、自ら問題を見つけ、自ら考え、自ら解決していく能力が求められるのです。もともと関心も無い学部に、大学の名前だけで選んで入学してきた不本意入学者にそのような高度なことができるでしょうか?
このような状況から生まれたのが『特別選抜入試』であり『AO入試』、そして、現在では『推薦型選抜』『総合型選抜』なのです。
特別選抜にあたる推薦選抜は、私たちの時代からありましたが、その一歩先を行く総合型選抜(旧AO入試)は、全く画期的な入試システムとして誕生しました。
不本意入学を避けるために生まれたのが、この特別選抜入試制度やAO入試、ならば、これらの試験制度が求めることは何でしょうか?
そう。
それは、大学での学問に興味を持ち、非常に高いモチベーションを持った学生です。
不本意入学をし、大学で遊び呆けるような学生や、中途退学していく学生を合格させないために用意された制度ですから、当然のごとく、これらの入試を受ける学生たちは、進学へのモチベーション、大学生活への意欲がなければなりません。
進学へのモチベーション。
そこで必要になってくるのが、自分が抱く将来の夢や目標です。そして、将来の夢のために、大学で何を学ばなければならないのか、そういった心構えと学習が必要になってきます。
これは教科書には書いてありません。
自分で見つけ、自分で考えて行かなければならないのです。
そこで、こののページでは、君たちが目指す大学・学部では、どのようなことを学ぶのか、その学部の入試ではどのようなことが求められるのか、その点を紹介したいと思います。
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