Geronimo Network

教育理念

語学教育

はじめに言葉ありき

 学校の外国語(英語)教育が大きく変わります!

 20年以上も昔、私は東京都内の日本語学校で日本語教師を始めました。当時、留学ブームが起き、韓国・中国から大勢の留学生が日本へやってきました。
 その中で他の日本語学校と差別化をはかろうとし、『進学実績』を学校の強みにしようとなり、その責任者に私がなりました。
 当時はまだ外国人留学生の大学進学には特別な競争相手はおらず、どこの学校も留学生自身の実力で進学させるというものでした。そこに受験のプロが関わるのですから、空前絶後の進学実績を出し、『この実績は日本一だ!』とさえ言われるほどでした。
 その過程で気がついたのは、外国語教育(この場合、日本語)の方法でした。

 今もその傾向はありますが、外国人留学生は日本語の資格を取りたがります。その一番の資格が日本語能力試験という試験です。しかし、この試験というのは、私が子どもの頃に受けた英語教育の日本語版と言ったところで、言語知識を問うばかりの試験で、実際にその言語を使ってどの程度コミュニケーションがとれるのかを測る試験ではありませんでした。その性質上、この試験のために費やす勉強時間は、世に出てもほとんど使わないような言語知識ばかりで、その対策をしていると大学合格を逃してしまうと判断しました。
 そこで、この資格を目指すことを止めさせようとしたところ、資格試験を目指させようとする日本語教師と衝突しました。
 『大学進学させたければ、日本語の言語知識を詰め込むのではなく、日本語で何が出来るのかを問わなければならない』
 これが私の主張でしたが、当時、周囲の日本語教師、さらに言うなら、言語知識偏重の英語教師を納得させる術はありませんでした。

 それがようやく世に出てきたのです!
 その言語を使って何が出来るのか、それを示す能力参照枠が『CEFR』です!

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異文化理解

異文化理解

 アメリカの映画に『ジェロニモ』というのがあります。その映画の中の忘れられないセリフがあります。それは『私がその場にいたらこんなことにはならなかった!』というセリフです。これは映画に登場する乱暴者のアパッチ族とアメリカ合衆国との仲介役だった中尉の言葉です。
 中尉がアパッチと合衆国の話し合いを仲介し、ようやくジェロニモたちを投降させた。しかし、中尉の留守中、ちょっとしたトラブルからアパッチ族の反乱に発展し悲惨な結果をもたらし、再びジェロニモたちを逃してしまった。その惨状を見た中尉が自信を持って発したのが『私がその場にいたらこんなことにはならなかった!』というセリフです。
 国際化が進む今の日本で必要とされるのはこの映画『ジェロニモ』に出てきた中尉のような人たちだと考えます。

 多様化と言うことが言われています。世の中が『他人のことなど理解できない』と言うことに気づき始めています。私が子供の頃は『全力でぶつかれば、いつか相手は心を開いてくれる!』なんて本気で信じ込まされ、人格の同質性が求められていましたが、人間の中身は決してひとつになどなりません。いや、しようとしてはいけないのです。
 そう。
 日本人同士さえ理解できないのですから、異文化理解など不可能なのです。いや、そもそも理解する必要などないのです。
 理解ではなく、知ることが大事なのです!
 人は決して同質にはならない。人間の中身は決してひとつにはならない。これを自覚し、相手のことを『知る』ことが大切です。知った上でお互いに守らなければならない共通のことをしっかりと守っていく、それがグローバル社会で求められています。その社会の中でトラブルが起きる、だから、映画『ジェロニモ』の中尉のような人が必要になっていくのです。
 こんな思いで、一人でも多くの『ジェロニモ』の中尉のような人物が現れることを願い、本サイトを『ジェロニモ・ネットワーク』と名づけました。

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サイトの構成

著者

須藤 道
25年以上、日本語学校で外国人留学生を指導してきた経験と、同じく塾・予備校で日本人受験生を指導してきた経験をもとに、異文化をつなぐ橋渡しの指導をしています。